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数学は中二で卒業しました

29歳独身男のちょっとだけ役に立つ雑記ブログ

やりすぎ!!助けて!!イジられキャラの「辛い…」に気付ける第三者の存在

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その『いじり』は度を越えていませんか?

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141028-00000003-pseven-ent


少し前の話題になりますが、このような記事がありました。

NHKの番組で『セクハラ』を取り上げた際、出演者の一人である井ノ原快彦さんの発言が注目を集めスタッフ一同が謝罪したというもの。

「この番組でも縁結びの神様のテーマがあったら必ず有働さんに持っていく。有働さんに対してならいいってわけじゃない。それで笑い取れると思ったら大間違いだぞって思う」


有働さんというのは、この番組を担当する40代未婚の女性アナウンサーです。結婚できない有働アナを番組内で「いじる」ことに対し、井ノ原さんが苦言を呈したというわけです。

僕は、この番組を見ていないので、有働アナが普段どのようにいじられているのか分からないのですが、この件を1つの例として、思うところがあったので書いていきたいと思います。

いじる側は感覚がマヒしていく

今回の井ノ原さんの発言を、僕はシンプルに『スゴイ』と感じます。

なぜなら、いじる側の人間は感覚がマヒしていくものだから。

相手が嫌な思いをしているんじゃないか?これは少し酷いんじゃないか?という感覚がどんどん失われていき遠慮がなくなる。この程度は良いだろう、という範囲がどんどん広くなって、酷いことをすることが当たり前になる。

(あくまで記事に書かれている)有働アナの反応からして、「慣れ」はあったとしても、「嫌だな」と思うことは何回もあったと思います。何度もプライドを捨ててきたと思います。

本人が「嫌だ」と思ったら、それは『いじり』じゃないんですよ、『いじめ』です。

いじる側の人間は、「いじる」と「いじめる」の境界線が曖昧になることが多いんです。

いのっちと同じ感覚の人はたくさんいるはず

僕は、井ノ原さんと同じ感覚を持っている人はたくさんいると思います。

いじられキャラだった人、場を客観視できる人。

僕もいじられキャラを演じてきた人間です。同時に、「いじめ」まがいの「いじり」に苦い顔をしながら、見て見ぬフリをしてきた人間でもあります。


難しいことは理解しているんです。場の雰囲気に逆らってまで、周囲に物申すのは勇気がいること。

でも、当たり前になってしまったことに対して、「それは違うぞ」と声をあげられる人はカッコいいと思います。

イジメや『イジメに近いイジり』は、被害者や周りの人間が声をあげることで解決への一歩を踏み出せるのだから。